カンフー世界観メモ38 ~スパム構文と破滅の接続〜
深夜二時を回った武館の片隅。 薄暗い事務所の中で、洛悉(ルオ・シー)は安物の端末を握りしめ、緑の瞳に凶暴な光を宿して激怒していた。端末のディスプレイには、赤い大きな×印と『相手からブロックされています』の冷酷な文字。 「……万死に値する! 我が温情溢れる提案を拒絶し、あまつさえこの私をブロックとは……! 思想再教育プログラムの第一号にしてくれるわッ!」 「どうしたんですか? こんな夜中に。まさかまたギャンブルで借金作ったとか言わないでくださいよ」 目が覚めてトイレに起きた帰り道、通りがかった葵翔太こと李汰が、氷のように冷やかな視線を向ける。12歳の可憐な顔立ちには、一切の情け容赦がない。 「違うわ! 折角この私が有り難くもコメントしてやったというのに、ブロックしてきおった不逞の輩が……!」 「……はぁ。またネットですか」 葵は心底面倒そうに溜息をつき、洛悉の手にあった端末を覗き込んだ。そこには、洛悉が相手に送りつけた送信履歴が残されていた。 『こんにちは!ショタのすごく良いドスケベ画像をたくさん持ってるんだけど、お互いに動画を作ってみない?やってみよう!実は、すごく良い画像をたくさん見せたいんだ。本当に、見たら信じられないと思うくらいすごいよ。どこかで話せる? Chilegram? Oiscord?』 「……」 葵の可憐な眉が、ピクリと引きつった。 ヤマト・コンツェルンの最高峰の遺伝子工学と情報工作教育によって作られた彼の知能指数が、この文章の「三種類の自動翻訳モデルを継ぎ接ぎしたような典型的なスパム構文」の頭の悪さを理解するのを拒絶している。 「……完全にスパムじゃないですか。フィッシング詐欺のBOTでももうちょっとマシな文章使いますよ? 警戒されてブロックされるのは至極当然、人類として極めて正常な防衛本能です」 「無礼な! 私の秘蔵のコレクション……至高の画像を見せてやると言っているのだぞ!?」 「うわぁ……」 葵の引きつった顔の横から、ぬっと大きな影が差し込んだ。 夜食のサッポ○一番(味噌)を食べた後のアルミ鍋を手にした年長弟子の燕義――田中孝太郎だ。二百年以上続くロングセラーの味を愛食する男である。 「おいおい、夜中に何騒いでんだ……って、何だこの頭の悪い文章は」 田中はチラリと端末を見ると、頭を抱えた。 「師匠……あんた、また無料アカウントで遊んでんのか? なになに? コメント送ってブロックされた? ふーん……おい李汰、この相手のアカウント、アイコンの横に『認証マーク』がついてんぞ。最新のNSFW対応・高精細立体動画生成エンジンの使える有料プランユーザーだ」 「……なるほどね」 葵は全てを理解し、底意地の悪い笑顔を浮かべた。 「要するに師匠は、自分では契約できない有料エンジンの計算資源を持っているユーザーに、自分の低品質な生成画像を送りつけて『タダでドスケベ立体動画に変換させよう』と画策したわけですね? クソじゃないですか」 「く、クソとはなんだ! 共同制作と言え! 共産主義的相互扶助の精神だッ!」 「ただのタダ乗り(フリーライダー)目的かよ。財布だけじゃなく人間性も貧しいとは情けねぇな」 田中が容赦なくツッコミを入れる。歯ぎしりして弟子二人を睨みつける洛悉。 「許せぬ……貴様らも、この私をブロックした愚か者も……! 手始めにこの愚か者め、私の圧倒的数量を誇る複アカでフォローしまくってから、速攻でフォローを外して精神的ダメージを与えてやる!」 「師匠、複アカなんて端末指紋と行動パターンで即BANされますよ。陰湿かつ効果が皆無すぎる嫌がらせはやめてください」 葵が呆れたように鼻で笑った、その時だった。 端末の画面が怪しく点滅し、広域ネットワークAIからの自動警告文が舞い込んだ。 『警告:発信元ノードからの継続的なスパム勧誘を検知しました。セキュリティ規約に基づき、当該接続網セグメント(武館ルーター)を不正ネットワークとして一時自動隔離します』 「……は?」 洛悉がポカンと口を開けた瞬間、武館全体の照明とルーターのLEDがバツンと落ち、完全な暗闇が訪れた。 それと同時に、葵と田中がポケットの奥深くに隠し持っていた「任務用の最高機密暗号端末」が、二人の肌に微かなバイブレーションと、絶望的な電子音を伝えた。 『ネットワーク隔離を検知。本部認証サーバーとのハートビートが中断しました。30秒後に機密領域の暗号鍵を自動消去します――カウントダウン開始:30、29……』 (ッ……!? バカな、緊急自己ロックシークエンス……!?) 葵の脳裏を、氷のような衝撃と冷や汗が突き抜ける。 本来、武館には彼らが秘密裏に構築した「工作員用暗号化セグメント」が存在していた。しかし数日前、洛悉が「通信費が高すぎる! 過緊日子の精神で統合するのだ!」と勝手にルーターのブリッジ設定を弄り倒し、すべての端末をひとつの一般Wi-Fiセグメントへ力技で束ねてしまっていたのだ。 『……3、2、1。ハートビート未確認。暗号鍵を自動消去しました』 冷酷な電子音が響き、端末が完全に沈黙した。 (くそっ……! 外務省とヤマト・コンツェルンへ送信中だった、沿岸部軍閥の裏取引とサイバネティクス密輸の重要データが完全に消去・ロックされた! 暗号鍵の再発行と復元のために臨時匿名ノードを三重に経由するだけで、僕の裏口座から数十万クレジットが吹き飛ぶ……!!) 葵の可憐な顔から血の気が失せる。 (おいおい嘘だろ……! 国維局への月例治安レポートが未送信のまま鍵を消された! 明日の朝までに予備プロキシで緊急再認証を通さねぇと、本部の鬼上司に給料カットされるどころか『不祥事』として減給処分だぞ……!!) 田中の額からも、滝のような冷や汗が流れる。 実家の老親への今月の仕送り用暗号通貨ウォレットの同期鍵まで巻き添えで消去され、心の中はパニックと怒りで血の気が狂いそうだった。 二人は互いにスパイとしての正体を隠している手前、「任務用端末の暗号鍵が消えた」などと口が裂けても言えない。 だが、心の中の焦燥と殺意は、もはや爆発寸前であった。 「……おい師匠」 田中の声が、暗闇の中で殺気を含んで激しく震える。 「あんた……前に俺が『このルーターの設定だけは絶対に触るな』って言ったの……覚えてねぇのか……!?」 「お、覚えているぞ!」 「じゃあ何で触って回線ごと隔離されてんだよ!!」 「通信費が高かったからだ! 浪費可恥、節約光榮である!」 「節約で全通信が落ちたら意味ねぇだろバカ野郎!!」 葵が、普段の洗練された気品をかなぐり捨てて金切り声を上げた。 「僕が……僕がクラウドに保存していた大事な教育用データにアクセスできなくなったらどうするんですか!!」 「俺のだってそうだ!! 俺の……俺のポイ活のログインボーナス連続記録と、実家に送る連絡メールが途絶えたらどうすんだよクソが!!」 田中の手から、サッポロ一番のアルミ鍋が床に転がり、甲高い音を立てて静寂を破った。 暗闇の中、冷酷な二重スパイとしての殺気を必死に「ポイ活とメールを失った一般人の怒り」の裏に隠した12歳のクローン人間と、警察庁の極秘工作員として修羅場を潜ってきた26歳の男が、ゆっくりと首を捻って師匠を挟み込む。 「し、師匠……? ネットの規約とルーターの設定は守れって、いつも言ってますよね……?」 「おい、タダ乗り野郎。責任……取ってもらうぞ」 「ひっ……!? ま、待て! 暴力を振るうな! 暴力はブルジョワジーの破滅的思考――グハッ!?」 深夜二時半。 暗闇の武館の事務所から、特級スパイとしての牙を隠す間もなく叩きのめされる「ダメ師匠」の悲鳴と、悲壮なカンフー打撃音が響き渡った。 ◇ (……フフフ、踊れ、愚かなスパイども) 暗闇の中、激しい打撃を受けながら、洛悉の緑の瞳が冷やかに光った。 二人の端末の暗号鍵が消去される直前――回線がBAN・隔離されるコンマ数秒の隙を突いて、洛悉がルーター基板に仕込んでいた特級プログラムが、二人が本部に送信しかけていた暗号化パケットのヘッダーと通信経路を丸ごと掠め取っていた。 そして何より――洛悉がわざとSNSで自爆して回線隔離(BAN)を引き起こした真の狙いは別にあった。 鍵が消去され、本部の認証が切れた今、焦り狂った弟子二人が「どのような予備プロキシや暗号ノードを使って本部に緊急再接続・鍵の再発行を試みるか」という『逃げ道(バックドア)』を観測・特定するための、冷徹な情報あぶり出しテストだったのだ。 (自分たちの高尚な情報戦が、一人のお茶目な帅哥の自爆で潰されたと思い込むが良い。その油断こそが、貴様らを私のシステムへと組み込むための最高の罠なのだから……!) ボコボコにされながら、洛悉は心の中で冷ややかに笑っていた。 もっとも、相手からSNSでブロックされたこと自体は、普通に本気でムカついていたのだが。 ◇ 翌朝。 顔を腫らした洛悉は、弟子二人に首根っこを掴まれ、武館のパソコンで必死に「プロバイダへの回線隔離解除の反省文」を入力させられていた。 「よし……これでプロバイダへの申請は送信完了です。師匠、次はメッセージの頭に『私は愚かなフリーライダーです』って自動で挿入される呪いを端末にかけておきましたからね」 「二度と武館の回線で怪しい真似すんじゃねぇぞ」 冷たく吐き捨てて、予備の暗号通信を手配しに去っていく優秀な弟子たちの背中を、洛悉は怨嗟の籠もった緑の瞳で見送る。 (いずれ全人類を共産主義的ユートピアに導き、至高の美ショタ画像を無制限に共有する世界を築いてやる……ッ!) 腫れた顔で固い誓いを胸に刻みながら、洛悉はこっそりポケットから予備の極秘端末を取り出し、新しい無料アカウントの作成ボタンを押すのだった。
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